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卒業にあたり

苦節5年、ついに大学を卒業いたします。
院に行くだのなんだの言ってた時期もありましたが、就職します。
明日から、社会人です。京都在住京都勤務。

国内外のブーメランプレーヤーの皆様、お世話になりました。
そしてこれからも、「く」をよろしくお願いします。

I graduated from university, and start working.
Thank you for your long term support.
And please treat our Boomerang Club "KU" continuing for a long time.



振り返ればずいぶん遠くまで来たような気がします。

5年前、「一応運動系のサークルにも入っときたいな」と、適当に探してたところに出会ったのが「く」。



2008年、1回生の頃。
それまで中学高校と野球をやってたのですが、
「もうガチ野球はいいかな、疲れたし。ガチスポーツも。
勉強するために大学に来たんだしな!
という、すっかり意識(だけ)高い大学生になってしまっていたので、野球含め体育会の部に入るという選択肢は頭にありませんでした。
なので、勧誘されていたアメフト部のコーチ(現監督)の「道に迷ったら、今までの自分をいちばん大きく変える道へ進め」という言に従い、子ども嫌いの僕は、まず子どもと遊ぶサークルに入りました。



で、同じく新歓期に、おなじみの“ビラを5種類集めるとブーメランをプレゼント!”というビラを見て、昼休みの体験会に顔を出してみたのがはじまりだったのです。
確か竹田さんがいたのは覚えてます。
そこで初めてスカイランと新歓用の2枚翼を投げたのですが、新入生にしてはわりかしうまいこと返せたみたいで。
そこでべた褒めされて内心「フハハ!」ってなったあたりでもう入部を決めてしまっていたかと思います。
「掛け持ちでも全然良いよ」「世界大会とか出ようと思えば出られるんじゃない?」「週一回とかでもいいし」「こんどシアトル行ってくるから」「飲み会しか来ない奴もいるし」
と、およそガチなのか適当なのか分からない不思議なサークル。
その実績と雰囲気に惹かれ、「いつか世界大会とか出られたらええなあ」ぐらいの漠然とした目標を抱き、その場で入部の名簿に名前を書きました。



“まだブーメランが素直に楽しかったころ”の思い出。
スカイランをキャッチできた。
新歓用のシナベニヤ2枚翼もキャッチできた。

そのうち先輩が投げてる競技用のブーメランが欲しくなって、はじめて頂いたのが台湾ゾイのFC。
無心でひたすらそればっかり投げてました。それで楽しかったし。

当時から、とにかく力任せにぶんなげることには定評があった。
なので軽いFCを力任せにぶん投げてると、輪ゴム巻いても浮いて浮いてしょうがなかったんで、ガムテープを巻いてみたり。わりとうまくいっていた。
そして彼は、子どもと遊ぶサークルのほうの合宿で、バスケのバックボードにぶつけて根元から折れて修復不可能になってしまった。
はじめて投げた競技用にしてはじめてぶっこわした競技用でもあった。



初めて作ったのは確かPP5mmでだったと思う。
アイスランナーをかたどって切ったはずが、とても速そうには見えなかったので鈍足で有名な野球選手の名前から「今岡」と命名。
天野さん宅で作ってたら、途中で電動糸ノコが動かなくなったので、ドリルとハンドソーを駆使してなんとか完成にこぎつけた。桝谷とかいたと思う。
ただ、この頃から作るのは好きじゃないなあって感覚はあった。
当時はまあ作らなくても大丈夫だろと思ってたんだけど、そうでもなかった。



下宿が一乗寺の公園に近かったので、けっこう一人で投げてたと思う。
とはいえ所詮新入生、ひとりでやっててもなんで戻らないのかよく分からない。
ほんで先輩に聞いたところで、今度は自分が聞く耳を持たない。
「ああ、そうなんすか」と素直にきいてるようでも全然分かってない、変わってない。
実際聞いてないこともあったし、やってみてるつもりで変わってないってこともある。
何にしても、戻ってこないと面白くない。



はじめて大会に出たのは08年の11月、熊本のジャパンカップ。
ずいぶん殊勝なことを書いているみたいですが、何も成長してはないなあ。
多少はうまくはなったのかもしれんけど、精神的なところが。
稲本先生の全盛期はたぶんこのあたりです。



当時はNFの前夜祭に出店したりとかしてました。
神戸に講習会に行った。
誕生会とかやったりもしてました。
ぼちぼち奈良投げにも行ってました。
テツとかも楽しそうだった。



09年3月の北九州までは楽しかったかな。
目の前で世界記録の更新を見てみたり、カンガルーとふれあったり。
たまたまH2Hで本田さんに勝ってみたり。



2009年、2回生。
色々歯車が狂い始めたのは、たぶんこの新歓あたりから。
新歓ってやっぱり面倒くさいもんで、それで結果がついてこないとなおさらで。
内田と若林が入ったものの、案の定、定着には至らず。
メディアに、テレビに初めて映ったのはこの頃。
テレビで初めてミスったのもこの頃。



どう考えてもヨコのつながりが希薄すぎたのがダメだったね。
オフの日に「く」の同回生とどっか行くとか、ブーメラン投げた後に誰かの家に行くとかまるで無かった。
俺自身かなり先輩っこだし。「く」でもそれ以外でも。
そんな感じで新歓なんか成功せんわなあ。



自分自身、決定的に嫌になったのは大会の運営をやってからだった。
他にも色々忙しかったってこともあったし。
だったら他の奴に協力してもらえばいいものを、それもしなかったし。
あれやこれや先輩からアドバイスがあっても、もうぐちぐち文句言われてるようにしか聞けなかったし。
夏の暑さと相まって、イライラから勝手に追い込まれていった感じです。



その頃になると、そもそもブーメランという競技の性質に違和感を持っていた。
「俺が知ってるスポーツと違う」っていう感じの。
北島康介がレーザーレーサーについて「泳いでるのは俺だ」ってメッセージを出してたけども、ブーメランってモノの性質がそんなんの比じゃないくらい成績を左右する。
個人的にはモノ:投げが7:3ぐらいだと感じる。
「そんなもんスポーツじゃねえよ、チェスのがよっぽどスポーツだよ」ってのが当時の素直な感想。
わりと今もそう思うけども、今なら「まあそれがブーメランやからなー」と受容できてる。
けど当時はもうそれが嫌で嫌で。
モノが主役、俺作るの嫌い、買う金もない、こうなるともうどうしようもない。



いろんなもんが溜まり溜まって「もう辞める」と言い出したのが2009年の10月。
あとのことはすべてハガちゃんとかてるみんとか桝谷に押しつけて、辞めてまえと。
なんやかんやで休部というとこに落ち着く。
副会長が退部とか休部とかありえんわなあ。



んで、2010年の3月。
なんか久しぶりに連絡がきたと思ったら「ワク空いてるし、世界大会に出ないか」と。
時間薬ってのは偉大なもんで、その頃にはだんだんブーメランとのつきあい方、距離の取り方もわかってきていました。
もちろん金の問題とか練習してないとか色々ありましたが、なんかその頃は人生前向きだったんで「出ます!」と返答。
金がないのでバイト増やしたり、友達に借金を頼んでまわったり。



2010年、3回生。
6月のローマ大会に出場。
日本代表Bチームの補欠兼マネージャーとして出てみたら、団体戦はブラジル代表として出ることになってみたり、個人戦は実力通りぼろぼろな結果になってみたり、なんかよう分からんうちにカイリーで世界一になってみたり。
結果云々じゃなく、とにかく楽しくて刺激的な時間だった。
ブーメランやっててよかったと、初めて芯から実感した瞬間だったと思う。



あんまり思い詰めずに、ゆるゆるとブーメランとかかわり続けることにした。
そんでもって競技者としてはここで引退したつもりだった。
休部から復帰して気がついたら今度は会長のハガちゃんが休部したので会長代理になったり。
2010年の新歓で入部した2人がやっぱり幽霊部員になったり。
だけど、どうでもいい。



2011年、4回生。
新歓は、2回生の寺田と2人でやった。
あわよくば寺田にぜんぶ押しつけて消えようと思ってたけども、そういうわけにもいかなくなった。
右も左も分からない寺田に押しつけた新歓は入部ゼロ。
そして寺田は2ヶ月後に辞めた。



寺田と新歓やって思ったのは、「こいつに任せるぐらいなら、自分で幕を下ろそう」ということ。
一時は憎しみすら覚えた「く」に、気づけばそんな愛着を抱いていたのが自分でも不思議だった。



8月に院試に落ちた。
「院に行くからあと2年は延命するし、そのうち新入部員も入るだろ」とか考えてたのが一挙にご破算。
結局、翌年1月に就活をはじめ、3月に内定。
つまり、4月の新歓に失敗したら「く」解散という窮地に追い込まれた。



2012年、5回生。
ここからは怒濤、でした。
4月の中旬からやっとビラを配りはじめ、体験会もはじめ。
最初は誰も来なかった。
ラクロスやアルティメットがみんなで楽しそうに新歓をやっていた。
それだけで泣きそうだった。



徐々にブーメランプレゼントに釣られ、新入生が来はじめた。
入部するのかしないのか分からん奴ら相手にへらへら笑顔で対応する。
いかに本音っぽく嘘をつくか。新入生を引きつけるか。
そんでもって、できるだけ入部しそうな奴だけ、入部して大丈夫そうな奴だけにエネルギーを注ぐ。
まあ新歓もキャリア4年目やったからね。慣れたものよ。



終わってみれば11人が入部してくれた。
たぶん、ブーメランやってて一番嬉しかった瞬間。
カイリーの世界一なんか目じゃない。



とはいえ、入部してさらに来年まで残るというのが大事。
そのためにはブーメランを好きになるか、「く」の人間と空間を好きになるか。
これが難しいんだよなあ。
それを「く」に入部するような奴を相手にやるというのが。



投げる場所が無いと思えば奈良まで車借りて連れていったり。
渋る新入部員を大会に強引に出場させてみたり。
合宿とか企画させてみたり。
Tシャツとか作らせようとしてみたり。
新入生だけでミーティングさせてみたり。
無理矢理にでも仕事を振ってみたり。
うまくいったものもあれば、てんでダメだったものもあるけども。



終わってみれば、7人が残った。
遙かに予想を上回る。ありがたいよね。
追いコンとかそういうのは教えたことなんかなかったけど、ちゃんと企画してくれてたし。
1回生の前で泣くほどヤワではなくてよかった。



そういえばブラジル大会ではBチームのキャプテンなんか務めさせて頂きました。
カイリーはタイトルを逃したものの、MTAで個人3位に入ったりとか。
LDで5位につけてみたりとか。

でもそんなことよりも、キャリア半年の後輩を2人連れて出場できたことよなあ。
あとはオマケだわ。



長くなりすぎて自分で何を書いていたか、何を書こうとしたか分からなくなった。



最後に。
まずは先輩方、ありがとうございました。
さんざん期待させておいて、最後までまるで期待に応えませんでした。
さらにはミーティングをサボったり、いきなり辞めてみたり。
もし自分にこんなクソみたいな後輩がいたらとぞっとします。篠田の比ではない。
お世話になりました。
「く」をかろうじて維持したことを以て恩返しとさせて下さい。



後輩へ。
ブーメランと「く」を嫌いにならないように、できれば好きでいられるように。
俺の願いは「く」の存続だけです。
残ってくれてありがとう。



今後ですが、ゆる~くブーメランと関わっていたいと思います。ゆる~く。
競技者としては、無期限の休養期間に入ります。

今でも、ブーメランが好きかと言われれば、正面切って好きだと応えられるほどではないです。正直。
それでも、もしブーメラン界の発展に何かしら関わることができるのであれば、微力ながらそれに貢献していきたいとは思っています。



とりとめもなく綴ってきましたが、最後の最後に、皆様、今まで本当にありがとうございました。


京都大学ブーメランサークル「く」
4代目会長
深澤景光

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